【新型コロナ】中国武漢で戦う医療従事者の現実【中国最新情報】
前記事に引き続き今回も新型コロナウイルスの中国での情報をお伝えします。
中国湖北省武漢市で発生した新型コロナウイルスによる感染が、日本でも各地に広がり始めている。
感染者数の増加、感染しないための対策などが大きく報道され、最前線で感染者の対応に日々あたっている医療従事者についてはあまり取り上げられないのが現実。
現地湖北省の感染者は6万7千人を超えた。現時点の累計死亡者数も2800人程と報告されている。(2020/03/04)
そんな武漢の最前線で活躍している医療従事者たちはどんな思いで武漢に来て、そして治療にあたっているのか?彼らの日記の一部をこの記事では紹介する。
:第一線でのウイルスとの戦いの日記 全てが忘れがたいストーリー
私は感情を滅多に表に出さない人間だ。ICUで働いていて、人の生死はすでに見慣れたものとなった。男は泣くもんじゃないと言われるが、このときから私は一度また一度と何度も涙を流している。
武漢に来る前のある晩、顔に深い深い傷を負ったかのような看護師、そしてすでに疲れ果て地面に倒れ込む医療従事者たちの惨状をテレビで見た。もう半世紀程生きてきた私だが、私は大きい声で泣き出してしまうことを抑えられなかった。
その時の心の痛みと深い悲しみは、言葉に表せるものではなかった。
2月18日の午後、二名の重篤患者の様態が悪化した。私はすぐさま病院へ向かい、緊急の気管切開を行う決定を下し、同時に侵襲性人工呼吸を行うことにした。これは全員が知っていた、気管切開を行うとき、患者の気管が解放され、手術者と患者の距離が最も縮まり、感染のリスクがとても高くなるということを。
その日、病室に入る前に二粒の痛み止めを飲んだ。夜7時、ホテルに戻ってきたときには既に疲労困憊だった。王チーム長から、感謝と見舞いの電話が来た。電話越しに聞こえる彼の咽び泣く声を聞いて、私はまた泣かざるを得なかった。
ここは戦場だ、この感覚はこの場所に身をおいて初めて感じることができる。私の生白い言葉では、表現するに足りない。
武漢意外の地域から応援派遣されてきた医療従事者は全員ホテルに宿泊して生活してる。
罗春さん(上海から武漢へ派遣)
6床のベット部屋にいる徐さんは、背を向けて隠すように涙を拭っていた。私は徐さんの近くに行った。彼をなだめようと思ったが、しばらく立ったままで、そこから彼に声をかけることができなかった。すると徐さんは、”家族とテレビ電話がしたい”と呟いた。私は充電器を探して持ってきて、彼の携帯を充電した。彼の娘さんも医学生であることを教えてくれた。後々、娘さんも私達のように病人を看護するのだ。私は小さい声でそっとなだめた。”大丈夫ですよ、きっと全て良くなります。”
まもなくで仕事終わりという頃、徐さんの体調が急激に悪化した。”急性左心不全”この言葉が私の脳裏をよぎった。 すぐさま先生を呼んだが、次第に酸欠症状も現れ、唇が紫になり始めた。本人がとても焦っているからか、人工呼吸器もうまくセットできない。徐さんの背中を叩きながら、”咳をして痰を出してください!”と大声で叫んだ。私は吸引器を使って絶えず口や鼻の分泌物を吸引し、一連の処置はすべて終えることができ,徐さんも一命をとりとめた。
今日の救助体験は記録として残したいと、そう思った。
自分がまるで戦士かのような気分だ、毎日宿舎(ホテル)と戦場(病院)を行き来するだけ。パンデミックが起きたとき、最前線にいた医師看護師は戦闘態勢となり、血肉は武器と化し、知識は発射する砲弾になった。すべてはウイルスという敵を消滅させるためだった。
毎日患者と触れ合ううち、日が立つとともに、現地の人の”方言”に詳しくなっていた。来たばかりのときには、年老いた武漢人の話すことは全くわからず、病歴を聞くにも、隣の若い患者に通訳してもらってようやくだった。いまでは、80歳のおばあさんの言葉だって90%は聞き取れ、完全に通訳はいらなくなった。
数日前の日記で登場した女の子は、状態も良くなり性格もとても明るくなった。昨日病室を循環していると、彼女は私に小さなお願いをしてきた。”小さなりんごが一つだけ食べたい” 今日、看護師が彼女に2つの大きな林檎をあげると、彼女は本当に嬉しそうだった。
張平さん(重慶から湖北へ派遣)
隔離病室の中で、何(HE)おじさんには一緒に付き添ってくれる家族がいなかった。私達医療従事者が日夜付き添い、気持ちを落ち着かせていた。ある時、何おじさんと家族がテレビ電話をしているときに、私はいたずらっぽくテレビ電話に入って笑いながらこういった:”こんにちは皆さん、私は何おじさんの担当看護師です、重慶から来ました。” すると何おじさんは、”こちらは私の娘のような存在で、張平というんだ。”
今日、厚い防護服を身にまとい病室に入ると、何おじさんはとっても嬉しそうに私にこういった”今日、退院できることになったんだ。家族のように接してくれたあなたには本当に感謝している。私達家族はあなたのことを心から歓迎する、ぜひいつでも遊びにおいで!”
邓小练さん(軍隊支援)
迎えのバスを待っているとき、私達のチームの小艺は私にいった”邓先生、腰がすごく痛くて・・・” ”ここに来たこと後悔してる?”私は言った。
”いや、後悔してません。まだどこに改善できる点があるのか探して、明日はより良くなるように考えています”と小艺は言った。
私は小艺をみた、彼女は20歳前半頃、額にはゴーグルの跡がまだ消えずにくっきりと残っている。それでも彼女の瞳はしっかりとしていた。
もちろん全員疲弊しているが、私達は終始笑って会話をし、多くは明日への改善点について話し合ったり、ウイルスが終息して重慶に戻れたら何が食べたいかなどを話している。
重症科にいる患者はほとんどが高齢で、危篤状態の人ばかりだ。だから私達は常に未だかつてない挑戦を目の前にしている。しかし誰も諦めて逃げたりはしない。ヒーローたちが集まって一緒に戦えば、きっと達成できると私達は信じているから。
今でさえ少しづつ落ち着いてきた武漢ですが、中国全土から派遣されてきた医療従事者はみなさん命がけです。いつ感染するかわからない、そんな恐怖に耐えながら。
今私が紹介した記事は武漢の医療従事者のお話ですが、このような医療従事者の活躍は中国だけの話ではありません。もちろん、日本の医師や看護師も同じように奮闘している人が大勢います。
私達はこのウイルスの大流行が終息するまでは、これ以上の感染防止のためにもできる限りのことをやっていくことが大事なのではないでしょうか。
最後までお読みいただきありがとうございます。